クラシック音楽とは死ぬまで続けられる趣味である

アラフォーのクラシック音楽愛好家 若い世代にむけてクラシックの魅力を発信していきます! しばらく文章のリハビリしてます

吹奏楽からクラシックリスナーへの道

私は中学生の頃エヴァを観てたせいでクラシック音楽に興味を持ち、高校から吹奏楽部に所属しておりました。

そこから大学でも吹奏楽部に所属してしまい、吹奏楽コンクールでオーケストラアレンジの演奏を聴いていたおかげでズルズルとクラシックリスナーへと足を踏み入れてしまった経歴を持っています。


あれから20数年。もう楽器を演奏することもなくなり(もともとそんなに上手くなかった)、それでもクラシックを聴くことだけは止められずにここまできてしまいました。


今でこそ管弦楽リスナーの私ですが、原点は2000年代の吹奏楽コンクールにあるのです。


そんな私もここ10数年吹奏楽を聴いておらず、すでに興味も失せて久しいです。そんな自分がふと感じたことがありまして、それは


『今の吹奏楽部の子たちって、クラシック音楽リスナーになる人いるんだろうか?』


という疑問です。


TwitterのTLでは色々な吹奏楽クラスタの方々が現在の吹奏楽シーンに疑問を抱き、問題提起をしているのは拝見していました。私も少しだけコンクールのプログラムなどに目を通してみましたが、管弦楽編曲の演奏をしている団体が少ないのです。

これでは未来のクラシックリスナーが育たないだろうなぁと危機感を抱きますね。


20年代の吹奏楽部の子達はもっぱら日本人の吹奏楽を専業としておられる作曲家の曲しか演奏しておらず、自分の楽器が活躍する管弦楽曲すらまともに聴いたことがなさそうです。

ダフニスのフルートソロに憧れる人やワルキューレのトロンボーンに心躍らせている部員は20年代にどれだけいるのだろうか?

あと最近流行っている吹奏楽オリジナルなども聴いてみましたが…「とても数々のオーケストラの名曲たちには並べれられない駄曲ばかりだな」としか思えませんでした。


私の「駄曲」の定義は

①メロディーラインの展開が薄く、ただ歌わせているだけ

②和声進行が単調なばかりか、適切な進行をしないこともある

③最後にドカンと盛り上げたら名演! みたいな演奏効果ばかり狙った曲

です。

T屋さんとか昔はこうじゃなかったんだけどなぁ…


80年代・90年代などのコンクール課題曲などは、現代音楽の作曲家たちもこぞって作曲されており、音楽的にも充実した曲がたくさんありました。饗応婦人や五月の風、ウィナーズなどはおそらく世界でも通用する名曲です。

吹奏楽オリジナルの名曲群を聴いてきた耳には、現代の吹奏楽シーンはどうにも受け入れがたいものがあります。(Aリードですら、名曲といえる作品は少ない)


こういう風潮じゃ、クラシックの演奏会に足を運ぶみたいな価値観にはならないと思う。

部活動の一環で、地域のオーケストラコンサートの鑑賞会を行ったり、オーケストラプレイヤーが啓蒙活動したり、そういうアグレッシブな活動をするのが一番近いかな。


結局クラシックはクラシック、吹奏楽は吹奏楽で棲み分ける形になっていくのかな、今後は。

[stage+]ラトル/LSO 2025年1月バービカンライヴ

今日はサー・サイモン・ラトルが2025年1月12日にロンドンで行ったロンドン交響楽団との公演のレビューをしようかと思います。


ネットラジオでも放送されていましたが、現在はドイツ・グラモフォンレーベルの配信サイト「stage+」で公演の模様が視聴できます。(30日無料お試しもありますよ)


ではプログラムノートを↓


◯2025年1月12日、ロンドン、バービカン・センター


・Mティペット:歌劇『真夏の婚礼』より典礼の踊り


・M=Aタネジ:ギター協奏曲『Sco』

ソリスト:ジョン・スコフィールド(エレクトリック・ギター)


休憩


・Rヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番ニ長調




サー・サイモン・ラトルは現在バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任しており、今回は前任のロンドン交響楽団(以下LSO)での出戻り公演になります。

ラトルにはベルリン時代から色々な演奏を聴かせていただいて、音楽もそうですが、演奏会のプログラミングが特に優れているように思います。

2024年もバイエルンとの来日公演で、ブルックナー9番の前プロに「リゲティ:アトモスフェール~ワーグナー:ローエングリン第1幕前奏曲」「ヴェーベルン:6つの小品~ワーグナー:トリスタン」という聴衆の度肝を抜くプログラムを置いて、独自の世界観を披露してくれました。

ラトルのプログラミングセンスは間違いなく世界最高峰であると言えると思います。


さて、今回のプログラムですが…こちらはラトルにしては割と順当なプログラムであるといえるかもしれません。タネジのギター協奏曲は世界初演ということで、ここが変わっているといえば変わっていますね。


では、各曲の雑感をば。


1曲目のマイケル・ティペットはクラシックオタクでもあまり聴かない作曲家ですね。真夏の婚礼は80年にチェリビダッケが一連のロンドンライヴを行った時に取り上げた曲で、私もこの演奏しか持っておりません。(楽譜もこのときのものを使ったのかな?)

一聴して、80年のチェリビダッケ/LSOと同じ音だなと感じました。オーケストラは流石に現代的に洗練されたアンサンブル力を発揮していましたが、曲の印象は…技巧的だなという月並な言葉しか出てこないですね。まだ自分に経験値が無いのだと思います。

また何回か聴いてチャレンジしたいですね(出来れば他の楽団の演奏を聴いていきたいけど、ティペットって全然演奏されない)


さてこの日のメイン(かと思う)タネジのギター協奏曲です。ソリストのジョン・スコフィールドはUKRock/Jazzの有名アーティストで、この曲のタイトルから分かる通り、スコフィールドのために書かれた曲らしいです。

ギターはエレアコギターでしたね。クラシックとUKロックの融合みたいな曲で、終始アンプから出てくるGuitarのサウンドが印象的でした。

終演後の歓声はUKの聴衆だからこそでしょうかね。

こういう他のジャンルとのコラボレーションはクラシック音楽としては珍しいですね。他ジャンルのリスナーも入って来やすいと思うので、現代作曲家にはもっとこのような試みをしてほしいと思います。

(日本だとそれこそ吹奏楽作曲家の方とかに…いやでも無理かなぁ、そこまでの作曲力はなさそう)

異色の協奏曲でオケが合わせるのが大変そうと思いましたが、そこはサー・ラトルの力量が光っており、どの場面でも破綻なく聴かせることが出来ていたのは流石です。

ラトルはベルリン時代にもウィントン・マルサリスの「スウィングシンフォニー」を初演していたこともあってか、こういう異色の作品の演奏には定評があります。

Jazzリスナーの人とかに一回聴いてもらって感想をもらいたいところではあります。


休憩を挟んで3曲目は、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(RVWの愛称で知られる)の交響曲第5番ニ長調です。

前プロ2曲は音源すらない曲でしたが、この曲も例に漏れずCDなどの音源が少ないです。ハイティンクがロンドン・フィルを指揮した全集やプレヴィン/LSOの演奏くらいしか聴けない、クラシックリスナーの中でもかなりマイナー寄りの曲です。

私自身もRVWの曲はあまり得意でなく、演奏を聞いた印象もどこか「エルガーにマーラーのセンスを組み合わせたような」曲だなという印象でした。

ラトルの解釈は案外真っ当で、ところどころで聴かせどころを工夫してはいるのですが、慣れていない耳には「どこを聴けばいい?」と疑問符がつくような印象でした。


総括としては、結構クラシックリスナーの中でもディープな層向けの演奏会だったんじゃないかと思われます。

けれどこういう挑戦的なプログラムは貴重ですし、普段聴かない曲を知れたりするので、とても聴く価値のあるコンサートだったと思います。

まず間違いなく日本ではこのようなプログラムは聴けないでしょうね…日本のオケのプログラムは保守的だから…


何か海外ネットラジオが規制されるかもという噂も耳にしたので、このような演奏会が日本で聴かれることもなく埋もれそうになることには危機感を覚えます。


みんなベトベンとかブラームスとかチャイコばっかり聴いてないでさあ!

もっと新しいレパートリーを開拓していかないと!!

チケットの売上は悪くなるんだろうけど!!!



とかオタクの叫びを綴って、今日は終わりにします。

CDで聴くか、スマホで聴くか

CDプレイヤーに凝っているオッサンリスナーは多い。


しかし私は一貫してPCオーディオ・スマホの無線接続の信者である。

だってこっちの方が音良いんだもの。


しかもこのサブスク全盛時代に「CDとかどうやって聴くんだよ」と思う10代20代のリスナーは少なくないと思う。

私も同感である。CDプレイヤーで聴くより、スマホに落とした音源のほうが圧倒的に音がいい。なぜかというと、音楽ファイルはエラー訂正をしているからだ。

デジタル音源は情報が欠損するので、その欠損を補正するエラー訂正を数百回と繰り返す機種が何より重要なんである。

良いCDPはその辺をきちんと行っているのだと思う。けれど弱点があって、エラー訂正を行ったデジタル情報を、アンプに流すケーブルがしっかりしていないとやっぱり音が劣化する。もちろんアンプからスピーカーに流すアナログケーブルも同様である。


PCオーディオを始める前「きちんとした音楽はCDPで聴いて、流し聴きするのはPCでいいや」と思って、PCにデジタルアンプをつないだところ、なんとCDPの音の方がモコモコしててぼやけた音像になってしまっていたという経験をしました。

PCで再生した音のリアルさったら!!

それ以来CDプレイヤーは当てにせず、PCで直接音源を管理してピュアオーディオにつなぐPCオーディオに目覚めました。

その際に機材一式も試行錯誤したのですが…それはまた別の機会に。

もちろんスピーカーに繋ぐのもいいけど、最近は性能の良いヘッドフォンやイヤフォンが多く揃っているので、リスナーはそっちを選択するのも大いにアリですね。

私は普段スピーカーで聴ける幸福な環境を持っていますが、一応ヘッドフォンも持っています。AKGのヘッドフォンで、ケーブルを付け替えられる機種です。ヘッドフォンケーブルが音に与える効果は絶大で、今からヘッドフォンを選ぼうという人は絶対にケーブル交換できる機種を選んだほうがいいです。


そういう環境だから、今の若い人がいい音でクラシックを聴くハードルは案外下がっているように思うのです。

ただ、SpotifyやAppleMusic、AmazonMusicなどのサブスクは少し微妙である。あれは可聴音しか拾っていないから。

自分がPCオーディオを始めたときも最初はAAC音源などに落としていたが、現在は専らAiff音源(無圧縮)で聴いている。やはりこれも音が全然違う。

可聴音域だけの音源はー自分の感覚だがー音場が狭い感じがするのです。wavやaiff音源は聴こえない音を収録しているのではなく、可聴音域を響かせる効果があるのかもしれません。


結論として、現代で一番いい音でクラシックを堪能できるのは、PC(なるべくMacが望ましい)かスマホを音源にして、そこから機材を選択するのが一番良いと思うのです。